自機♂×エメトセルク

漆黒ラストあたりの話

それは温かな海だった。
満たされていて爪先から染み入るような海。荒々しくぶつかり合った日々が、此処にはないかのように漂っている。
激情の終幕。最後に瞳に写したのは14の座に就きし、親愛なるアゼムではなく。エオルゼアの英雄として翳りさえも抱えながら光輝く忌々しくも懐かしき魂を持つ、ただ1人のなり損ないの姿。しかしその男が引いた幕に私は酷くも満足したことも事実であった。

さざりと子守唄のような穏やかさを抱く潮騒。足を生温く濡らすは波と砂。暖かく包み込むような海は俺にとって指の間に絡みつく砂すらも愛おしい。だが目の前にいる黒い存在は”理解出来ない”と言いたそうに睨んでいる。俺はそれが何故か面白くて口元を抑え、声を殺しながら笑う。それが耳に入ってしまったのだろう。馬鹿にされたと思ったのかこちらを向いて小言を言う。「やれ、お前は無意味なことを」「他にやるべきことが」だとか。気に食わないと回りに回る舌に対して呆れよりも恋しくて。堪らず目の前の存在に触れようとして手を伸ばした。刹那、指先がピクリと反射的に跳ねる。脳に疑問を生じたからか、硬直して俺は驚きから瞬きをする。
恋しい。どうして。
何故こんなに焦がれるように感じるのか。
穏やかな潮とは裏腹にさざめく心が絡み合う。そんなえも言われぬ感情を抱きながら黒衣を纏う存在をもう一度見ようとする。が、眼前を眩い光が覆い隠すように表情を奪い取って。

「やぁ、目が覚めたかい?」
耳へと届いた声は馴染みのある少年であった。自身を見下ろすアルフィノ、そして視線をずらした先には少しばかり豪華な照明。木を基調に石を支えとしている天井であった。ぼんやりとする頭で導き出した答えはここが石の家であり、疲労からソファーに身を投げて眠っていたことだった。寝起きの朧げさで今ここにいる理由も遡る。

ゼノスとファダニエルが率いるテロフォロイが終末の再来を宣告。その後、各所にて不気味な塔が出現。目の前に現れたるは異様な蛮神。強制的に誘拐され続ける者たち。各国も暁の血盟も人員を回し続け、奔走し続ける日々だった。
そんな渦中で各国が緊急事態の最中に多種族との融和を目指し始めたことで協力体制に確固たるものが芽生えつつあり、この機会に俺は休息を取るようにと暁の面子や各国の首脳陣に現場から遠ざけられてしまったのだった。そんな俺といえば大人しくしているのが柄でもないので無視して他種族の元に向かい、少しでも彼らが楽になるように手助けをして回ったのだ。ただし自分一人では限界はどうしたってくるものだから石の家に辿り着いた瞬間に目の前にあったソファーに倒れ込んで意識を失ったようだ。
「俺がどのくらい寝てたかとかって分かるか」
「私も先程戻ったばかりで驚いたんだよ」
まさか君が奥の間で寝ているとも思ってなかったからね、と困った顔でアルフィノが苦笑するので自分も「あぁ……」と有耶無耶に言葉を濁す他無かった。理由を深く聞かないでくれているのはありがたい。これがシュトラやアリゼー、ラハであればそうもいかなかっただろう。サンクレッドもアルフィノのように庇ってくれていたかどうか怪しい。ウリエンジェはおそらくアルフィノと同様の態度で接してくれていたであろうが。
「寝苦しくはないかと心配になって起こしたんだが、迷惑だったかな」
「少し仮眠するつもりだっただけだからむしろ助かったよ」
身体を起こして一つ、腕を伸ばしてから右肩、左肩、後ろへとぐるぐると肩を回して筋肉を解す。アルフィノは「くれぐれも無理をしないでくれ」と心配を口にしたが、すぐに切り替えて「これからまた話し合いの場に戻るが何か伝えておくことはあるかい?」と俺に問う。先刻までに奔走し、大本から正すべき事柄を解決出来る様に援助して欲しいことを簡潔にまとめて伝える。

「了解した。そのように伝えておくよ」
「悪いな。本当は俺が行くべきなんだろうが」
「そんなことはないさ。君は私から見ても働きすぎていると思うからね」
アルフィノには少々重たいであろうドアは彼の手で開閉され静寂が再度訪れた。ソファーに腰掛けてぼんやりと天井を見上げては先程まで夢を見ていたのだと、ぼんやりと思い起こす。が、あの穏やかな夢を鮮明に引き出すことができない。浜辺、潮騒、誰かがそこにいて酷く恋しかったこと。手繰り寄せられたのはそれらのみだった。
(……何が恋しかったんだかな)
物足りなさを埋めようとポケットに忍ばせていた自作の紙煙草を探り出して点火する。口元に運んでは吸って、肺を満たし、吐き出す。何度か繰り返すが重い煙が満ちゆく感覚と足りなくなる心が同時に襲い、哀しいかな満たされることはなく煙草の火をすぐ消して再度ポケットへ仕舞い込んだ。

数分後には夢を辿るかのようにコスタ・デル・ソルの地を踏みしめていた。細かな砂を靴底が踏み締め、周囲には潮と、魚と香草が焼ける爽やかな香りが漂ってくる。夢で見た穏やかさは此処には無かったな、と内心でごちりながらも浜辺にたどり着いてはブーツのベルトを解く。脱ぎ終えたブーツは手で掴んだままに曝け出した素足を海に浸す。照りつける太陽と残暑を残すような水温の海にやはり来る場所を間違えたと後悔した。
あれはもっと穏やかに凪ぐ場所だった。何処だったかと記憶の引き出しを1つ、2つと手を掛け続けて思い当たる場所。凪ぐような穏やかさ、生温い水温の海、差し込む光。
「コルシア島」
リムサロミンサ特有の陽射しが肌を焼くのを妙な落ち着かなさを苦痛に感じ、いそいそと海から足を抜いては再び異世界に向けて歩き始めた。

コルシア島に来て目的だった浜辺には寄らずにテンペストへと足を運んでいた。挙句にふらりと辿り着いたのはオンドの水溜まりではなく、アーモロートだったことに女々しいと自分自身に溜息をつく。
エメトセルクは元来のアーモロートを俺も気に入ると口にしていた。確かに自分自身、なにかとあればこの場所にはよく訪れている。穏やかで、さもしい争いが無いのは当人が知り得る雰囲気を反映した場所でしか無いのだから当然だと思っている。が、それはそれとしてエメトセルクの世界や人々に向けた愛おしさや残された淋しさが滲んでいるこの場所にとても惹かれるものがあるのは間違いはなかった。

「やぁ、懐かしくも新しい君」
ぼんやり意味もなく街並みを眺めていた自分の背後から聞き慣れた声が落ちてきた。振り返った先にはヒュトロダエウスが口角を上げて此方を見下ろしている。
「久しぶりだな」
「そうだね」
「……もうすぐ消えそうだったりするのか」
「今のところ予兆はないかな。君の方は元気かいい?」
「ぼちぼちだな。休んでろってあちこちから言われて辟易してるところだよ」
「成程。じゃあ落ち着かなくてあっちこっち歩き回ってるってことなのかな?」
「そんなとこ」
言い当てられて肩をすくめればヒュトロダエウスは面白くて笑っているようだった。
「君は君だと思っているんだけどね。どうもにも昔と変わらず大人しくしていられないのが本当に面白いよ」
「転生前もこんな感じだったのか」
「よくエメトセルクからも怒られていたものだよ」
ふーん、と生返事を返すとまたくすくすと笑い声がした。
「だからこそ君も彼に惹かれるんじゃないかな」
「は?」
「君たちって昔から何故かこういう色恋沙汰には疎かったねぇ懐かしいな」
笑みを口元を隠して懐かしむヒュトロダエウスの言葉が俺自身の心のざわつきを溶かしていくように落ちるのを感じた。どうしようもなく愛していて、恋しくて、焦がれてた曲がった背に芝居がかった口調、その姿で本心を隠すくせに俺の前で少しばかり隠しきれずに本当の姿を晒す強くて弱い。
「馬鹿なやつ。本当に……」
俺も、お前も、どうしてこうも気づいて欲しくて振る舞ったりなど不器用なのか。でもそんなお前を俺は愛していて、不器用に俺の本来の魂を求める姿に執着していた……俺を見ろと。
「俺は望まれたとしていてもアゼムにはなれない」
「そうだね。君は君の人生を歩み、ここにたどり着いた。でも彼もそれを分かっていても君を愛したからこそ君と全力で向かい合って託したんじゃないかなって私はそう思うよ。」
「クソ真面目め」
「フフッ、そんなに言ってるとエメトセルク、きっと怒るよ」
「だよな」
あのどうしようもなく素直になれない男は激情をぶつけ合った末にこの舞台上から降りていった。自分が出来ることは真実を忘れず、未来への歩みを抱えて歩み続けること。穏やかに、時には不安や困難が襲いかかるような波のように繰り返す日々を取り戻す戦いへと戻るのみだ。

「さよならだ、ヒュトロダエウス」
「ああ、元気で。僕の大切な友、ナハト」
「アゼムとして別れる必要ないのか」
遠回しに後悔はないのかを尋ねれば、ヒュトロダエウスの仮面の仄暗い影を落とす奥の中で弧を描いたように見えた。
「ここで話した君は間違いなくナハトアンファングだったからね。彼とはちゃんとしたさよならは言えなかったけど……君はあの人ではなく、そして私はこの小さな幻想世界の一抹の泡沫でしかないからね」
「そうか」
2人の時間は終わりゆくだけの穏やかな深海の街の下で微かな未来への手向けを受け取ったかのようだった。

コルシア島の陸地へと戻ってきてはすぐにブーツを脱ぎ、素足を浸した。波の満ち引きを聴き、触れて、目蓋を閉せば潮騒が耳を擽る。目の前には纏っている黒を基調としたコートが波に浸かってゆらりと歪み、少し丸まった背で海を睨みつけている男がいるかのようだった。それが酷く面白いわ、似合わないわ。しかし巻き込んだのは俺だったか。入ってしまえば大人しく真面目に体験してるのが可笑しかった。笑ったことでそいつはきっと怒ったのだろうか。あるはずのない未来が心に満ちて、引いてゆく。叶わなかった未来は自分の隣を埋めて欲しかった存在。見えていなかったものを潜在意識が呼び起こしたものだったのか。ならばきっと光溢れた先の表情を窺うなんて出来るはずがない。アイツの求めた答の帳は降りて、俺の舞台という未来が開幕した。目蓋を閉じても、開いていても。そこには誰もいない事を証明するように自身の影が水面にただ、揺らいでいるだけだった。